上野国分尼寺調査に成果
(2019年03月1日)
伽藍の範囲特定につながる発見
高崎市教育委員会は、東国分町で実施している上野国分尼寺跡確認調査について、尼房の全体規模、講堂の礎石、寺院の主要施設が配置された伽藍地の北辺とされる築地塀跡の発見、成果を発表し、2月25日に報道機関に調査現場を公開した。
尼坊は、10人の尼が集団生活を営んだ場所で、「房」と呼ばれる小部屋に仕切られた長屋の形状となっている。建物の規模は、基礎部分の地盤を固めた「掘込地業」の範囲で南北13・5m、東西51mとされ、柱跡の位置から切妻構造の建物と考えられる。
伽藍内の配置から、講堂があったと考えられる場所から90cm径の礎石が見つかった。礎石発見場所からは多数の瓦や基壇外装(げしょう)といして使用された凝灰岩切石の破片、塔のミニチュア土製品の瓦塔の破片が確認された。
伽藍地の範囲を特定するための調査では、北辺と考えられる区画施設の跡が発見された。土手状の盛り土で基部の幅は4・6m、瓦が多数出土していることから瓦葺きの築地塀の跡と考えられる。塀の内側と外側に深さ40~50cmの堀が巡らされていた。
この上野国分尼寺は、奈良時代の天平13(741)年に聖武天皇の「国分寺建立の詔(みことのり)」により、上野国分僧寺(現在の史跡上野国分寺跡)とともに創建された。
国分尼寺の調査例は全国的にも少ないという。上野国分尼寺の創建時期は全国でも早期とされ、中央政権と上野国、上野国の国力などを考える手がかりとなりそうだ。
高崎市教育委員会では、今後、伽藍地の範囲確定調査を進めていきたいとしている。
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